首里城火災から3年が経ちました。
火災に遭う前は、”首里城祭”の名前で那覇の三大祭りのひとつとして、盛大に行われていました。
20年、21年は規模を縮小し”首里城復興祭”の名前でお祭りが開催されていました。
22年は木曳式(こびきしき)と合わせて、10/29~11/3まで開催されたので、見に行ってきました。私の一生に一度の貴重な経験でした。様子を紹介します。
木曳式:11月3日
首里城再建に使う木材を運ぶ 琉球王国時代の儀式 「木曳式(こびきしき)」が33年ぶりに行われました。
国頭村(くにがみそん)を出発した木材が、11月3日に首里城に運ばれます。
御材木(おざいもく)と呼ばれる、この大きな木はオキナワウラジロガシで、長さ9m、重さは4tもあり、首里城正殿の国王の玉座の梁に使われる予定になっています。
オキナワウラジロガシは、大きなドングリが実ることで知られてますね。
中山門跡(ちゅうざんもんあと)からスタートした、木遣行列(きやりぎょうれつ)を見てきました。
玉城デニー知事が挨拶の後、銅鑼を鳴らして木遣行列のスタートです。
横断幕を持っているのは、近隣の小学生。その後ろに沖縄県知事や那覇市長の姿が見えます。
首里高校のマーチングバンドを先頭に
赤田町のミルク様(弥勒菩薩)
汀良町(てらちょう)の獅子舞
沖縄各地に獅子舞はありますが、汀良町の獅子舞は那覇市無形文化財指定されています。マジムン(魔物の意味ですが災いの象徴)を睨む所作があるのが特徴です。
県外の獅子舞と違って、沖縄の獅子舞は毛むくじゃらなんです。
木曳式と言えば、”国頭サバクイ(くんじゃんさばくい)”ですね。
国頭サバクイとは、沖縄を代表する木遣歌です。サバクイとは地方役人の役職名です。 昔、首里王城の造営・改築の際、国頭で伐採した木材を運搬するときに歌った労働歌です。
創作舞踊とアナウンスがあったので、振り付けは異なっていると思われます。
クェーナが奉納され木曳式がスタートします。
クェーナとは、かつて首里王府の儀礼において、王を霊的に守護する神女たちによって歌い舞われたもので、保存会の方が披露されました。
楽隊が木遣行列の音頭を取り、運んでいる人たちを鼓舞します。
たくさんの人々が続き、やがて材木を乗せたトラックがやってきました。
首里御材木(ございもく)の文字が見えますね。
今回はトラックで運んでいますが、昔は人力で運んだわけで、昔は13歳以上の人は全員参加したとアナウンスがありました。首里城の建設は、琉球の人々が総出で行う壮大な国家事業だったことがよくわかります。
木曳式はたくさんの方の協力で開催されたことがわかり、沖縄県内外の方々の首里城に対する愛が伝わってきて、胸が熱くなりました。
首里地区の旗頭が勢ぞろい!
少し休憩時間を挟んで、首里地区の旗頭(はたがしら)が勢ぞろいしました。
旗頭は、それぞれの地域のシンボルのようなもので、40~60kgくらいの重さのものを男性ひとりが代わる代わる持って、上下に揺らします。
鐘やほら貝の音や「サーサーサーサー」の掛け声が飛び交います。
このあたりは電線が多かったので、ぶつかるんじゃないかとハラハラしました。
偶然、首里出身の友人と会ったので、いろいろ教えて貰いました。
首里城復興祭:芝生広場での旗頭
首里城の芝生広場に移動しました。ステージが設置されていて、踊りなどが披露されます。
ここでも旗頭の演舞がありました。
瑞雲とは、めでたい兆しの時に現れる五色の雲のことです。瑞雲の旗頭は首里地区の選ばれたメンバーだけが演舞できる特別な旗です。
次々と持ち手が交代しますが、受け渡しがスムーズでカッコいいなと思いました。
首里城復興祭:古式行列
古式行列とは、琉球王国時代に、国王が国家の安寧と五穀豊穣を祈願するために行った「三ケ寺参詣行幸」を再現したものです。
たくさんのお供と一緒に、国王と王妃が奉神門から守礼門まで練り歩きます。国王と王妃は一般公募で選ばれた方です。とても美しい方ですね。
古式行列は20年、21年、22年と少しずつ豪華になっています。本来は龍潭通りを練り歩いたものなので、首里城復興祭から首里城祭に戻るのが待ち遠しいですね。
こちらは私が書いた首里城関連の記事です。
木曳式と首里城復興祭の基本情報
木曳式:
日時:2022年11月3日 9:00~11:30
場所:中山門跡~守礼門
首里城復興祭:
日時:2022年10月29日~11月3日 9:00~17:30
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駐車場:首里城公園の駐車場は利用できません。無料シャトルバスをご利用ください。