毎週土曜日に放送されるローカル番組「Aランチ」で放送された「沖縄ふしぎ発見!」というのがとても面白く、食い入るように見ました。
琉球史芸人の賀数仁然(かかず・ひとさ)さんがMCを務めていて、琉球の歴史をわかりやすく、面白く解説していました。
その賀数仁然さんが解説をしてくださる、組踊ツアーがまたまた開催されましたので、参加してきました。
今回は組踊「孝行の巻」とモデルとなった屋良ムルチなどをめぐる、盛りだくさんのツアーでした。
組踊”孝行の巻”ツアーとは
組踊が国の重要無形文化財に指定されて50周年であること、沖縄県の本土復帰50年を記念して、10/14~16の3日間に、朝薫五番の組踊を野外ステージで上演し、からくり花火と併せて披露されました。
今回の組踊ツアーは、「孝行の巻」の上演日に、琉球の歴史ツアー組み込んだものです。開演時間がいつもより遅いため、立ち寄り場所がたくさんある、盛りだくさんのツアーとなりました。
ちなみに過去の組踊ツアーはこちらです。
赤犬子宮(あかいんこぐう)
赤犬子(あかいんこ)とは、琉球古典音楽の始祖と称えられている方で、その終焉の地にお宮を建てて、祀っています。
琉球古典音楽に関わる方だけでなく、村の守り神としても崇拝されています。赤犬子のことはよくわかっていないので、伝説上の人物ではないかとも言われているようですが、実在した人物を祀っているのは、沖縄ではここだけです。
ちょうど、お祭りのタイミングだったので、扉が開いていました。
お参りをさせていただいている間に物凄い雨が降ってきましたが、すぐに止み、振り返って見た海がとても美しく、崇拝される場所であることが納得できました。
泊城公園(とまりぐすくこうえん)
渡具知ビーチの中にある泊城です。
北山城主一族にまつわる伝承などもあるのですが、どのような位置づけであったか、よくわかっていないそうです。
とても美しい眺めですが、ここは川の水が流れ込むところなので、サンゴ礁が発達せず、船が入港しやすかったので、薩摩や沖縄戦の上陸地にもなりました。
琉球の頃は川を使って品物を運搬していたようです。港から川を利用するのはとても理にかなっていたと考えられます。今後は悲しい歴史が繰り返されないことを願うばかりです。
吉屋チルー歌碑
「恨む比謝橋や 情け無いぬ人の わぬ渡さともて かけておきやら」
比謝橋がなかったら、私は川の向こうに行くこともなかったのに。の意味で、遊女になった身の上を嘆いた歌と言われています。
吉屋チルーは、二大歌人として知られていますが、吉屋(よしや)は置き屋の名前なので、ひとりではないかもしれないとのことです。
道の駅かでな
いつもの組踊ツアーは、昼食付きですが、今回のツアーは自由に食事をすることになりました。
私は亀そばで沖縄そばを食べました。
三枚肉とソーキの両方が味わえて、おいしかったです。
食事を終えて、展望スペースに昇りました。
噂に聞いていた展望スペースからの眺めです。
屋良ムルチ
屋良ムルチ(やらむるち)のムルチとは池のことです。
古くから伝わる伝説に「大蛇伝説」があります。ムルチに住む大蛇は暴風などの害をあたえ、住民は童女を人身御供に出せば、禍い事がやむと信じていました。ある年、親孝行の娘がたった一人の祖母を置いて、池に臨んだ時に天神様が現れ、その大蛇を退治して災害を除きました。その後娘は王子の嫁になり、祖母と一緒に幸せに暮らしました。
引用:嘉手納町
この大蛇伝説をもとに、玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん)が「孝行の巻」を作ったと言われています。
池に大蛇が住んでいて退治する話は各地にあります。龍は水の神で、しばしば龍と蛇は混同されるので、暴風や増水などの時に、神の怒りを鎮める意味があったのかもしれないと、私は勝手に妄想しました。
国立劇場おきなわでワークショップに参加しました
県立博物館・美術館で、博物館の常設展を見学した後、国立劇場おきなわに移動しました。
まずは、組踊ワークショップに参加しました。
組踊について説明していただくだけでなく、私たちも唱え(セリフ)を言ってみたり、歩いてみたりと、実践型のワークショップでした。
質問タイムでは、思いがけない質問が飛び、笑いに包まれました(笑)
詳しく知りたい方はメッセージ下さい。
組踊「孝行の巻」とからくり花火
ワークショップを終えて、屋外の特別ステージへ移動しました。
「孝行の巻」のあらすじを紹介します。
途中で火が消えたり、仕掛けが上手く展開しなかった場合、フォローが出来ないですからね。すごい技術です。
内容盛りだくさんで楽しめました。またリピートしたいと思います。