2024年の那覇大綱挽は、10月12日~14日の開催となります。
那覇大綱挽は他のお祭りと全く異なる独特の雰囲気があるので、是非見て欲しいなと思いますが、予備知識があった方が良いので、是非こちらの記事を読んで予習されることをオススメします。
24年の那覇大綱挽スケジュール
那覇大綱挽は、綱挽そのものだけでなく、体育の日を挟んだ3日間のお祭りをまとめて言うこともあります。ちょっとややこしいですね。
2024年は10月12日(土)~14日(月)に開催されます。
2日目:旗頭(はたがしら)行列(国際通り)
2日目:大綱挽(久茂地交差点)式典など14:00~・綱挽16:00~
3日間とも:RBC市民フェスティバル(奥武山公園)
ちょっとややこしいので、ご注意ください。
2024年の交通規制と駐車場について記載しておきます。
バスルートも変更になります。
綱挽が終わってもバスが国際通りを運行しない路線もあります。ご注意ください。
大綱挽や国際通りのイベントに参加される方は、バスやモノレールの利用をオススメしたいのですが、遠方から来られる方もいると思います。
そんな方にオススメの駐車場は、県庁前方面なら、那覇市役所の駐車場です。
こちらの駐車場は、市役所が開いている時間帯は市役所を利用する人限定ですが、閉庁後や週末には誰でも20分100円で利用できます。
安里方面なら、安里三差路駐車場です。
広々としているので、停めやすいと思われます。
那覇大綱挽とは
那覇大綱挽は、1995年ギネスブックによって「世界一のわら綱」と認定されたことで知られています。
つなひきは、綱引きと表記するのが多いようですが、沖縄では引きの文字が地域によって異なります。那覇は大綱「挽」です。
那覇大綱挽の歴史について公式サイトから引用します。
那覇大綱挽の歴史は古く、発祥は西暦1450年頃だと言われています。
地方の農村行事としての綱引きが、稲作のための雨乞い・五穀豊穣・御願綱を起源とするのに対し、町方(都市)の綱として、交易都市那覇を象徴する大綱挽であり、国家平穏、海上安全を祈願していました。1935年(昭和10年)を最後に途絶えていました。戦後那覇市は、首里・小禄・真和志を合併して大那覇市となったところから、沖縄の祖国復帰の前年1971年、時の平良良松那覇市長により市制50周年記念事業として「10・10那覇空襲」の日に復活しました。
引用:https://www.naha-otsunahiki.org/
那覇大綱挽は、100mずつの綱の先端の輪にかぬち棒を通してつなぎ合わせ、東西で引きあいます。大きな綱からは細い手綱がたくさん伸びていて、大勢の引き手が参加します。
通常であれば、会場にいる人ならば、誰でも綱を引くことが出来ます。申し込みなども要らないので、沖縄県民だけでなく、基地関係らしいマッチョな男性や飛び入り参加の旅行者の姿も見られました。
そのため、会場で流されるアナウンスは日本語、英語になっています。
いつもの久茂地交差点はこちら。
県庁前駅からも近く、いつも交通量の多い国道です。
写真の丸で囲んだ中央分離帯に穴が開いているのが、お判りいただけるでしょうか。
那覇大綱挽のために、中央分離帯は取り外しのできる特注品なのです。
夜中に中央分離帯に大綱を設置するので、交通規制がされるまでの間は綱の脇を車が走ることになります。知らないとビックリしますね。
大綱は約100mの綱2本を棒で繋いで引きます。
2本の綱を繋ぐ、かぬち棒が那覇市役所に設置されているのをご存じの方は少ないと思います。
綱引きの歴史は古く、オリンピックの正式競技でもありました。日本各地では五穀豊穣や吉凶を占う儀式・伝統行事だけでなく、運動会の競技として、さまざまな形の綱引きが行われています。
ですが、2本の綱を繋ぐ綱引きは沖縄だけじゃないでしょうか。
男綱と女綱の両方の輪を棒で繋ぐって、ちょっとアダルト要素もありますね。
那覇大綱挽2024年に参加してきました!
第54回那覇大綱挽は2024年10月13日に開催されました。
私は那覇の東に住んでいるので、東側にスタンバイしました。
毎年、体育の日(スポーツの日)の前日の日曜日に開催されていましたが、新型ウイルス感染拡大防止のため20年、21年は中止となってしまい、22年は途中で綱が切れてしまいました。23年はようやく通常開催が出来ました。
24年の沖縄は台風の影響は少なかったものの、雨の日が多かったので天候が心配されました。時折気にならない程度の小雨は降りましたが、暑いくらいのいい天気に恵まれました。
那覇大綱挽は那覇の町を東西に分けて、その勝敗を競います。
東:東一番、安里、壺屋、泊、久茂地、首里、真和志
西:西一番、辻、久米、若狭・松山、垣花、泉崎、小禄
旗頭は那覇大綱挽に欠かせないもので、2023年は那覇市長が「旗頭のまち」を宣言したので「旗頭のまち」のノボリを持っている人もいました。
14の旗頭が勢ぞろいする様は迫力がありますね。
旗頭は男性の持ち手だけでは成り立たず、打楽器隊や世話役の女性など様々な人の協力なしには出来ないのです。ですが、どの地域も担い手が減っていると聞きます。伝統芸能や伝統文化は口伝えが基本かもしれませんが、今のうちに言語化、IT化しておかないと文化の継承が難しいと思います。
苦言を呈したのは大切なものであることを理解したからです。
残念ながら彼らの耳には届きませんでしたが。
那覇大綱挽は、なかなか始まらないのが通常です。
式典・挨拶→旗頭我栄(がーえー)→空手演舞→綱を繋ぐ→支度(したく)→くす玉が割れて、大綱挽がスタートします。
支度
支度(したく)。歴史上の人物である阿麻和利(あまわり)と鬼大城賢勇が綱の上で見栄を切ります。
くす玉
クレーンの先に取り付けられたくす玉です。くす玉が割れると、いよいよ那覇大綱挽のスタートです。
那覇大綱挽の綱は、まん中の大きな綱から枝のように細い綱が付けられています。その場にいる誰もが綱を引くことが出来ます。県内外、国の内外、大人も子供も自由に参加できます。
那覇大綱挽の制限時間は30分で、「5m綱を引いた方の勝ち」と決まっています。
私も綱を掴んで引いてみました。2024年は6分で東の勝利となりました。去年に続き連覇ですね。
ニュースでは「スピード決着」って言っていましたが、引いてると長く感じられました。
東の勝ちとアナウンスが流れると、近くにいた人たちとハイタッチしました。
綱は縁起物とされていて、切って配ってくれたので貰って持ち帰りました。
無事に大綱挽が開催されたことを嬉しく思いますが、伝統を継承するためには様々な問題があることがわかります。言語化しないことによる曖昧さ、交通規制のわかりにくさ、ゴミのポイ捨てや刃物の持ち込みなどなどです。
那覇大綱挽も旗頭も那覇人の心意気が伝わるお祭りです。是非とも心意気を大事にして欲しいなと思います。これさえあれば、様々な問題も解決できるからです。
那覇大綱挽で注意した方が良さそうなこと
毎年、すごい混雑なので、浴衣、サンダル、日傘、ベビーカーはオススメしません。
ジーンズにスニーカーなど、動きやすい服装がマストで、子供は肩車していないと迷子になってしまう程です。
数年前に混雑に巻き込まれて、もみくちゃになった浴衣姿の女性や泣き出した子供も目撃したことがあります。
慣れていない女性や子供は、綱が動き出す前に手綱を持って、写真を撮るだけにとどめるほうが良いかもしれません。
10月の沖縄はまだまだ半袖で過ごせるほど暑いです。水分補給は必須なので、あらかじめ飲み物を用意してください。
那覇大綱挽に限らず、国際通り周辺のイベントはトイレが混みあいます。会場周辺のトイレについてまとめた記事も書きましたので、併せて読んでください。
24年の「RBC市民フェスティバル」の様子
那覇大綱挽の会場である久茂地交差点付近に出店はほとんどありません。
奥武山公園へ行くと「RBC市民フェスティバル」が開催されていますので、出店や音楽ステージなどのお祭りを楽しむことが出来ます。
沖縄名物のなんでも揃う出店やクジ引き、音楽ステージなどを楽しめます。お祭りはこうじゃなくちゃ!
いいお天気で日焼けしちゃうくらいだったのでアイスを食べました。
家族連れが多いのがお祭りらしいですね。飲んだり食べたりステージを楽しんだり思い思いに過ごせます。
3日間とも花火が打ち上げられます。
楽しかった\(*ˊᗜˋ*)/
那覇大綱挽まつり・RBC市民フェスティバル@奥武山公園 pic.twitter.com/EiMoMrAYXs— なえぴゃん (@naepyan) October 12, 2024
家の近くからも花火が少し見えました。
バスやモノレールを利用して、久茂地の那覇大綱挽と奥武山公園の「RBC市民フェスティバル」の両方を楽しむのが良さそうです。
RBC市民フェスティバル基本情報
開催日時:2024年10月12日~14日 11:00~21:00
会場:奥武山総合運動公園
住所:沖縄県那覇市奥武山町52
TEL:なし
アクセス:壷川駅または奥武山公園駅下車すぐです
駐車場:なし
2022年の「那覇大綱挽のクラファン」は失敗したが資金問題は大丈夫か
那覇大綱挽がずっと開催されなかったのでスポンサーが減ってしまい、資金不足になったと新聞で読みました。伝統があり、ギネスにも認定されている那覇大綱挽の危機を見逃すわけに行かないと私はクラファンに参加しました。
通常であれば、大綱挽が終わると縁起物の嘉例綱(かりーつな)が配られるのが恒例ですが、2022年には嘉例綱の配布がなかったので、嘉例綱を入手できるのは関係者とクラファンに参加した人だけだったのです。
ところが返礼品の綱が届いたのは年も開けた2/1でした。当初の予定は11月末であったのに、公式な発表もなく、謝罪の言葉もなく、しれっと綱だけ送られたことを悲しく思いました。
残念ながら、このような対応から私は那覇人の心意気を感じることは出来ないからです。大綱挽も旗頭も素晴らしいのに、準備作業、事務作業が苦手って、沖縄あるあるかもしれませんがそれでは継承が難しいです。
23年、24年にクラファンはなかったようですが、資金問題は解決したのでしょうか。
那覇大綱挽は私が見たことのある他のお祭りとは全く異なるお祭りでした。伝統を是非とも継承して欲しいと思います。那覇人の心意気を是非とも見せて欲しいと思います。