沖縄情報

首里城の赤瓦の漆喰(しっくい)はがしボランティアに参加しました

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2019年10月31日朝の4時ごろに「首里城で火災が発生しています」の防災無線で、私は起こされました。
寝ていたので、なんのことか、すぐには理解が出来ませんでした。2回ほど防災無線を聞いて「首里城」「火災」の単語が飛び込んできました。

半信半疑でテレビをつけると、崩れ落ちる首里城正殿が映し出されていました。

ほんの数日前に、東京から遊びに来た女友達と龍潭(りゅうたん)から首里城をバックに写真を撮ったばかりなのに。

東京出身で沖縄・那覇に移住して当時9年の私も、言いようのない喪失感に襲われました。沖縄の人にとっては、いかばかりかと。友人、知人の心中が察せられました。

私に出来ることはないのかと思いました。せめて、瓦礫になってしまったものを拾い集めることでもいいから、何かしたい!させて欲しい!と思いました。

すると、赤瓦の漆喰(しっくい)はがしのボランティアの募集がありましたので、3回参加してきました。

※20年6月公開のブログに加筆修正して公開します。

受付~作業の説明

首里城の銭蔵で漆喰はがしボランティアの受付の様子を撮影した写真

首里城の銭蔵で漆喰はがしボランティアの受付の様子

まずは、首里城の銭蔵(ぜにくら)で受付をします。ある程度人数が揃ったところで、当時立ち入り禁止エリアとなっている作業スペースへと案内してもらいました。

首里城の漆喰はがしで立ち入った正殿裏手の様子を撮影した写真

首里城の正殿裏手だったところです

ここは正殿があったところの裏手に当たります。「ああ、本当に焼けてしまったんだ。」と正殿がないことを再確認させられました。

傷つきながらも龍柱は残っていました。上の写真の真ん中あたりに足場が組まれているのがわかりますか?

正殿のまわりの建物も火災に遭ってしまったので、囲いが設けられています。

火災があった時は、御内原(おうちばら)と呼ばれる王族の住まいだったエリアが公開になったばかり、正殿の漆の塗り替えが終わったばかりで、あの美しかった一帯がすっかり様変わりしてしまっています。

 

誰にも見られることのないシロツメクサが健気に咲いていて、より一層悲しくなりました。

 

作業に戻りましょう。

長いテーブルの上に、スクレーパーなどの道具が並べられています。防塵マスクとゴーグルも配られました。

首里城赤瓦漆喰はがしの道具を撮影した写真

首里城赤瓦漆喰はがしの道具が準備されていました

瓦の職人組合の方から作業について説明を受けて、作業へと進みます。

ボランティアに参加する前に、私はNHKの「プロジェクトX」で1989年の首里城再建のことが放送されていたのを見ました。

明治時代に首里城を明け渡し、主を失った首里城は荒れ果ててしまい、その後、沖縄戦で壊滅的な被害を受けました。

そのため、あの美しい首里城を見た人は誰もおらず、資料や文献も燃えてしまい、カラー写真もない時代なので、首里城の「赤」の再現がとても難しかった、特に赤瓦の作成は困難を極めたという内容でした。

そこで、今回の再建の時には、赤瓦を少しでも再利用をしようとしているのです。

首里城赤瓦のイメージサンプルを撮影した写真

首里城赤瓦のイメージサンプル

もとはこんな感じで瓦と瓦をくっつけるために漆喰が施されていましたが、再利用する際には、残った漆喰が邪魔になるので、はがす作業をします。

首里城の正殿に使われていた赤瓦は5万5千枚とか。形が残ったものは1~2割程度だそうです。

瓦職人の方から「正殿は元の首里城の遺構(いこう・建物の基礎部分)の上に復元した建物が建っているので、赤瓦は高い位置に配置されていて、落ちた時に割れてしまったものが多かった。南殿は低いので形が残っていても、燃え方が激しかったので、まっ黒に変色しているものが多い」と伺いました。

 

これは後日テレビで取材された時に、聞かれてないのに、ぶっこみました。

 

漆喰はがしの作業スタート

首里城赤瓦の入った袋を撮影した写真

首里城赤瓦の入った袋

こんな感じで袋に3枚の瓦が入っています。わからなくならないように、番号が振ってあります。

首里城赤瓦を袋から出した様子を撮影した写真

首里城赤瓦を袋から出しました

袋から出すとこうなっていました。

スクレーパーやブラシを使って、白く残った漆喰をはがしていきます。
力と言うよりは、はがしやすい角度を見つけるとラクにはがせるので、高校生くらいから女性でも、オジー、オバーでも作業できます。思っていたより多くの方が参加されていました。

首里城赤瓦の漆喰はがしをしている様子を撮影した写真

首里城赤瓦の漆喰はがしをしているYumixです

瓦職人の方がテーブルをまわってアドバイスもしてくれますし、飛び散った漆喰はすぐに、ほうきで掃き集めてくれたので、とても作業がしやすかったです。

1袋の漆喰がはがせたら、職人さんのいるテーブルに持って行って、打音検査を受けます。
音によって、見えない損傷がわかるそうです。澄んだ音がするのが合格で、濁った音がするのは内部が損傷しているので、不合格になります。

合格した赤瓦は再利用され、不合格だった瓦や割れてしまった瓦は、違う目的での再利用を考えるそうです。

再利用方法は公募され、花壇のヘリになったり、三線の舞台になりました。

だいたい2時間くらいで、私は6~7枚の漆喰をはがすことができました。
隣りの席の方とは距離があったので、もくもくと作業を進めている方が多かったです。

家に帰ってから、体に細かい漆喰の粉がたくさんついていることに気がつきましたが、やりがいのあるボランティアでした。参加させてもらってよかったと思いました。

耳からも漆喰の粉が出てきました!

終了した時には、こちらの証明書を頂きました。

首里城赤瓦漆喰はがしの参加証を撮影した写真

首里城赤瓦漆喰はがしの参加証を頂きました

赤瓦の再利用に様々な意見があるのは理解していますが、焼けてしまった赤瓦をゴミとして処分するのは抵抗があります。漆喰をはがし、再利用を考えることで、前回の首里城再建の際に尽力された方へ敬意を表し、文化を未来へつなぐことが出来るのではないかと考えました。

首里城の再建は2026年を予定しています。

もう少し先になりますが、私が漆喰をはがした赤瓦が再利用されていることを胸に、美しい首里城を見たいなと思います。

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